高野口の駅名はその名の通り、高野山の参詣口。
しかし、現在では名前だけ。高野口駅が本来の意味での高野山への玄関口として重宝されていたのは、どうやら大正時代までだったみたいです(古っ!)。
大正14年(1925)、南海鉄道が南下して現在の高野下駅まで開通させると、高野口駅からの高野登山客は次第に減少し、それとともに高野登山口としての役割を終えていくことになります。
その時代をリアルで知ってる人はもうほとんどいないでしょうね。
朝7時11分。閑散とした駅のホーム。
有害ビデオ回収箱の白ポスト「やぎの箱」。ところでビデオって、ビデオ? DVDじゃなくて? 今この箱に、有害ビデオを実際に投入する人はいるのでしょうか(^_^;)?
無人駅!
コインロッカーはありますが6個だけ。
でもこの様子を見てると、あるだけ大したものだ(笑)。
七尾駅(能登最大)なんてコインロッカー無でしたから(根に持ってる)。
そんな閑散とした高野口の鄙びた木造の駅舎の目の前には、えらく立派な木造建築がある。
旅館っぽいですよね?
「葛城館」と立派な看板もかかっています。どう見ても旅館ですよね? しかし、人の気配がありません。これはもう廃業してると見て良さそうです。その割に廃屋にありがちな荒んだ雰囲気はなく、神々しさすら感じます。
とりあえず、凄い!立派!と外観写真をパシャパシャ撮って、「純喫茶さつき」に向かったのですが、後で調べて見ると、やはり旅館として営業しておらず、平成24年に保存修理が行われたそうです。
明治34年(1901)、当地に紀和鉄道の名倉駅が設置され、高野山への参詣登山に便利であったことから、明治36年には駅名を高野口駅に改称、駅前には十数軒の旅館が建ち並んだといいます。高野登山口の駅を象徴するかのように寺院建築を彷彿とさせる木造三階建ての旅館2軒が駅前を占め、その一方が今日に残るこの葛城館です。
高野山登山口の象徴として意義があるのでしょうね。下手な現役の旅館よりも状態が良い(^_^;)。
駅舎の脇の通りにも、古めかしい木造建築が並んでいます。残念ながら、そちら方面は歩いていないのですが、宿場町の雰囲気があります。
旧葛城館は駅のホームからも見える。
「なくそう差別 みんな一つの輪になって」
差別反対の標語が金網フェンスにかかっていますが、「伊都地方婦人同和運動実践連絡会」。伊那地方とはなんぞや? 長野県の伊那市? ここ和歌山だけど?と思っていたら、じっくり見返すと伊都でしたね。
高野口町はかつて和歌山県伊都郡高野口町で、2006年3月1日に隣の橋本市と合併し、橋本市高野口町になったので、この差別反対標語を設置したのも伊都郡時代だったんでしょうか。
高野口で4軒の純喫茶に入った後はJR和歌山線で県境を超え奈良県に向かいます。
エムケイ
ブログを通して多くの方に純喫茶の魅力を伝えていきたいと思っています。
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