【神栖】知手団地を歩く (2) 配水塔と自家焙煎 喫茶ありんこ

団地なのに団地がないな~

そんなことを思いながら、坂を上っていると……。

神栖・知手団地1

鹿島神宮行きのバスに追い越され、給水塔っぽい塔と団地っぽい建物が見えてきた。

神栖・知手団地2

私はこれを給水塔だと思ってるんだけど、googleマップでの表記は配水塔になってた。配水塔と給水塔の違いはなんだろう?

神栖・知手団地3

もしかしたら、これが知手団地?

だとしたら、正直しょぼい。 知手団地入口、知手団地北、知手団地南とバス停まで別にあるくらいなので、松戸市の常盤平団地みたいな巨大な団地群をイメージしてたのに、これだけ?(-_-;)

第一、人は住んでるの? 誰も歩いてないし、ゴーストタウンみたい。

ねこもみ様のコメントによると、昔は団地に住む奥様が通りを歩いていたそう。オアシス、夜のヒットスタジオワタナベ、光洋が営業してたのは、団地ブームの時代だったのかな……。

現在では改修・取り壊しが進んでいるらしい。建物の老朽化と住む人の高齢化。団地の発展と衰退は、純喫茶のそれと大きく重なる。

神栖・知手団地・ありんこ1

昭和53年オープン 自家焙煎「喫茶ありんこ」に到着。

神栖市知手中央4-4-14
営業時間8:30~18:00(17:00頃終わることが多い)
定休日:木曜日

神栖・知手団地・ありんこ2

店の前には車。

神栖・知手団地・ありんこ3

内装は極めてオーソドックスな茶系。

自家焙煎の店だし、ということでコーヒー。

店の真ん中では10人位の団体さんが大宴会。テーブル一杯に食事を広げ、次から次へと平らげる。

「〇〇さん? あの人は70歳だから、まだ若いよ」

…なんて話も聞こえてきたけど、もしや皆さん後期高齢者? にしては、若いし元気だな~(^^;)。すごい食欲。

「米が食べたい。マスター、米ないの? おにぎりとかさあ」なんて無茶な注文も飛び出すも、あっさり通ってしまった。

メニューにはなかったような……。

利用金額

  • ブレンドコーヒー 400円
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コメント

ねこもみ

ありんこにも行かれたんですね!
私にとって喫茶店のルーツといえばここかもしれません。
昔は両親がここで珈琲豆を買ったりしてて、よく行ってました。
今でもたまに遊びに行ってます。

エムケイ

>ねこもみさん
ブログで見てましたので…(笑)。
ご両親が珈琲豆をこちらで買っていたのですか!
自家焙煎珈琲の店ですからね。

ルピナス

知手団地、住んでました。【partⅡ】
写真にある配水塔を見た瞬間に、懐かしさで・・・
溢れ出す記憶に収拾がつかず。
再び、コメントさせていただきます(´艸`*)
こちらの純喫茶に特化したブログの趣旨から反れることをお許し下さいね。

あの配水塔は、もう半世紀以上だと思われます。
団地にくらす子供たちの間では「魔女の塔」などと呼ばれていました。
あの辺では一番高台になる場所にそびえ建つ無機質な外観と、
夕暮れになると沢山のカラスが、あの塔に集まりガーガー鳴くわけです。
それはもう、本当に魔女が住んでいそうで恐ろしかった。

高い場所から高架水槽による自然流下配水方式だったため
あのような魔女の塔のような形状の配水塔になるのでしょうね。
この、浄水した水をこの魔女の塔から敷設した水管から各家庭に
送り込み供給する段階になったときに『配水』と呼ばれていた水が
『給水』と呼び名を変えていくわけです。

ますます横道に・・・(´;ω;`)

あの魔女の塔を起点に、沢山の団地群があったのに・・・
スズラン通りを登り切り配水塔を横目に見る場所に
「知手マート」なるスーパーマーケットもあって
団地妻や子供たちで賑わっていました。
私の暮らす団地から「ありんこ」の当時青かった屋根が見おろせて
その屋根にデカデカと白いペンキ塗装文字で「ありんこ」と書いてあったのですよ。
子供の私は、アリンコって何屋なのか?と。でも、可愛い・・・って思ってました。
 
鹿島製菓のパン屋は、ひょろ長い店舗で『幸鹿堂』コウカドーとして同じ店内でパンと焼き菓子等を販売してましたし、裏には給食用のパンを焼く工場などもあって学校の見学学習で行ったりしてました。
そして、確かに、隣に喫茶店があったのですが、店内の記憶がなく残念です。
入り口が紫色のガラス扉だったように思います。(曖昧ですみません)
今はメロンパン推しとのことですが、当時は変わったパンがたくさんありましたよ。
コロネパンの味違いが多様にあって、中でも秀逸なのがメロンクリームの注入されたものがあったのです。生クリームにメロンシロップを混ぜたようなクリームに緑色の刻んだゼリー片のような粒粒が混ぜられていたトリッキーなパンです。(味も)
ある意味、メロン推し・・・もう、ないだろうな。でも懐かしい。

そして、すみません。
関係ないことをズラズラと。

最後に、おすすめのお店を♬
セントラルホテルの高速バス乗り場近くにある【杉の木】
同じく、鹿島神宮行きの高速バス路線の中にパラボラアンテナ(宇宙通信C)
近くにある【プランナー】
お好みに合うかは微妙ですけれど、どちらも古いお店です。
まだ残っているということは、私も間に合うなら行きたいなと考えていた所です。
お邪魔しました( ^ω^)・・・





エムケイ

>ルピナスさん
それほど反響があると思ってなかった神栖記事ですが、なぜか何回にも分けてしつこく書いた甲斐があります。
最盛期を知ってる方からの情報とても嬉しいです!

知手団地の情報はネットにはほぼ皆無で、せいぜいが高速バス乗り場程度の情報。
かなり大きな団地だというのは規模からしても明らかだし、飲食店が集まってた痕跡もあるのに、なぜか情報がなくて、個人的にも調べてたんですよ。

配水塔の件。
まさか、そのような思い出をよみがえらせるスイッチになるとは思ってもいませんでした。
「魔女の塔」と呼ばれていたんですね。

愛嬌が無く無機質なものは、子供にはおそろしいかもしれません。
配水と給水の違いですが、塔に水を送りこむとき「配水」で、浄化された水を各家庭に送りこむと「給水」になるのでしょうか?

たしかに団地から「ありんこ」を見下ろす形になりますよね。
「ワタナベ」から団地まで坂を上った記憶があります。
「ありんこ」の屋根に白いペンチで「ありんこ」の店名があったんですね。
今は…もう無いですよね?

鹿島製菓は給食用のパンまで焼く大きなパン屋さんだったんですね。
メロンパン推しだったことは覚えてますが、コロネパンのメロンクリーム。トリッキーだったんですね。
今は…どうなんでしょう?
食べてみたいですね。

隣の喫茶店というのは、「和風喫茶光洋」ですね。
入り口が紫色のガラス扉。もしかしたらそうだったかもしれませんね。
ねこもみ様のお母様の記憶では、店内BGMが琴の音色の優先だったそうなので、イメージ通り。
昨年系列の「純喫茶光洋」(小見川)が閉店してしまい、光洋も消失してしまいました。

お勧めの店。
セントラルホテルの近くの「杉の樹」は夕方営業してるのを見かけました。
それなりに賑わうお店のように見えました。
「プランナー」は知りませんでした。
調べてみたら、鹿嶋市ですね。車がないとちょっと行けないかもと思いました。
もしまた行く機会があれば足を運んでみたいです。


ルピナス

知手団地、住んでました。【partⅢ】
本当に。まるで幻の団地みたいに、痕跡がなくなっている・・・
たまたま、昔を思い出して検索エンジンにヒットしたのが
こちらのブログでした。

内容は、純喫茶だなんてノスタルジックで素敵だなぁと
読んでいるうちに、記憶の中のあの街が どんどん出てくるではありませんか。。
 もう、衝撃です。懐かしい日記を見つけたような気分です。

知手団地というのは、都市部の団地のような、公社や行政の管理する
いわゆる都営、県営、市営の団地ではなく、コンビナートに集まった
数百社の企業が、各会社単位で社員やその家族のために建設した
社宅や、独身寮などの集合体なのです。全国各地から転勤で集まってきていたし
学校の教室では、様々な方言が飛び交っていました。
一部、県職員の官舎のような建物も混じっていたように思います。

だから、住んでいる住民の高齢化などによる廃墟化というのではなく
企業が、業務縮小などで臨海工業地帯から撤退が相次いだ結果
社員もいなくなり、社宅もなくなり、住民も消えたというわけです。
ほとんどが転勤族だから、地元意識も残らないのだろうなと思うのです。

江戸時代は小さな漁村だったと聞きました。
神栖という土地の大半が埋め立て地だから、砂地のため
深い森もなくて、大きな樹木も育たないから、原っぱみたいな場所で。
ますます廃墟のような殺風景な風景と重なっていくのだろうなと。

でも、このブログを見て
懐かしくて胸が苦しくなるような人が
きっとたくさんいると思います。

リプまで書いてくださって、ありがとうございました。
あの頃を懐かしむ誰かが、
この貴重なブログに辿り着きますように(人''▽`)☆





ルピナス

追記
上下水道の世界では、浄化する過程で
お水の 呼び方が変わっていくと聞きました。

アリンコの屋根、ググってみました。
今は、こげ茶色?文字もなかったです。
かつて住んだ街を鳥瞰するのは不思議な感じです。

空から知手団地を眺めていると、
千葉県佐原にあった十字屋・ポポというデパートの
宣伝プロペラ機を思い出しました。
昭和のあの頃は、宣伝飛行機を飛ばして、音声でセール情報を
拡声器で流していたのですよ。(プロペラの音のほうが煩かった)
アドバルーン広告も、空を泳いでいたなぁ・・・
高台の団地の上階からは、
千葉方面、銚子方面まで見渡せたのです。
空と、海ばかり眺めてました。

記憶の中で、
青い屋根の可愛いアリンコ文字も、
フルーツパーラーワタナベの2階にある入り口を上がっていくワクワク感も
昭和の子供が背伸びして憧れる正統派喫茶店の記憶、そのものです。

エムケイ

>ルピナスさん
色々と腑に落ちました。
よく見る古い団地の廃墟化とは雰囲気が違うなあと感じてました。
普通だと老朽化で古びて、人は少なくても、高齢者の姿は見るのですが、こちらの知手団地は「ある意味綺麗」。
生活感がなく、無機質にも感じました。
高齢者どころか子供も大人も誰も歩いてない。歩いてて不思議な感覚でした。

そもそも団地の成り立ちが違うんですね。
鹿島臨海工業地帯の発展に伴い各地から人が集まって、その人たちが住むための社宅のような団地だったんですね。
他の工業地帯でもそういう団地あるんでしょうか。

検索エンジン経由で見付けてくださったんですね。
ためしに「神栖知手団地」で検索しましたが、3ページ目ぐらいまで、結構どうでもいい情報ばかりで、やっと私のブログが出てきました。

もし以前住んでた方で懐かしく思う方がここにたどり着いたとして、私の文章だけでなく、ルピナスさんのコメントを読んで懐かしく思う方がいるんだろうなあ、なんて勝手に想像してます。

「宣伝プロペラ機」、「アドバルーン広告」
想像してみました。なんか夢があっていいですね。
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エムケイ

ブログを通して多くの方に純喫茶の魅力を伝えていきたいと思っています。
当ブログはリンクフリーです。トップページ、個別ページでもご自由に。



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