【神栖】知手団地を歩く (1) 高度経済成長期の面影

神栖・第2章。知手団地。

東京から神栖入りは楽でも、市内の移動が大変。路線バスの本数がメチャクチャ少ないからだ。キャビンのある木崎からここまでの移動に、1時間かかってしまった。まさに大移動。

この辺りの建物には、高度経済成長期の面影が残っていた。

神栖・知手団地

けんしん(茨城県信用組合 知手支店)

カブト虫みたいな形のスペーシーな建物。

団地入口の交差点にある。これなんて、高度経済成長期そのものじゃない?

神栖・知手団地

すずらん通り入口から坂を上ると、

神栖・知手団地 神栖・知手団地

ソテツが窓辺を覆うトロピカルな店「Oasis」。享楽的な匂いがする。詳しくは後ほど別の記事にて。

神栖・知手団地

振り返ると、火力発電所。鹿島臨海工業地帯のある神栖ならではの風景。煙突から煙が流れる姿は、常に景観の一部になっている。

すずらん通りの途中から、わき道にそれる。

神栖・知手団地 神栖・知手団地

和風スナック ぼんち

ファザードの独特な形状からして、ここ最近出来た感じではないよね。しつこいけど、70年代風というか、高度経済成長期の匂いがする。

神栖・知手団地 神栖・知手団地

イタリアンレストラン カンティーナ

中を覗いてみると、備品はそのまま残っているが、すでに閉店して何年も経っているらしい。

神栖・知手団地

中国料理「香蘭」

神栖ではなぜか知らないけど、月曜日が休みの店が多い。リストアップした中で唯一定休日で入れなかった店だ。

神栖・知手団地

香蘭の隣の怪しげな店。多分、閉店した元スナック。

神栖・知手団地

ファザードの六角形の飾りが艶めかしい。

白い建物、大げさな頭でっかちなファザード。知手団地入口では、やたら見かける外観だが、勝手に高度経済成長期ぽいと思っている。

神栖・知手団地

ステーキレストラン ローハイド

こちらも、他と同様高度経済成長期の雰囲気醸し出す外観。ちょうど12時だったので、こちらでランチを。次回の記事にて。

利用金額

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コメント

匿名さん

建築期
70年代までの建築物はネオンは派手でも構造設計は保守的なことが多いので、けんしんの建屋は多分、80年代以降かと。

建具でも、鉄サッシなら70年代かそれ以前、80年代ならアルミサッシ。建具や内装は80年代から急速に工業化が進み、工場で生産されるようになった。建具屋さんなどの職人さんの仕事が減った。

最近は木製の建具でも工場の量産品だから、どこかで見たようなデザインばかり。

エムケイ

Re: 建築期
けんしんは80年代以降の可能性が高いのですね。
とすると、この後この知手団地入口で見かけた店舗はすべて80年代以降ということになりますね。
70年代と90年代くらいの違いになると、明らかに分かるのですが、70年代と80年代(あるいは60年代と70年代)の違いになると、イメージで何年かな?とか思ったりします。

80年代以降が急速に工業化が進んで似たようなデザインが多いということでしょうか。

ルピナス

知手団地、住んでました。
鹿島臨海コンビナートにある会社に勤めていた親の転勤で、1980年前後に団地に住んでいました。 
今の画像を見て愕然としました。私は、おそらくあの界隈が一番賑わっていた頃に住んでいたのでしょう。

けんしんの建物は、私の記憶にないので80年代の中盤以降の建築物だと思います。
ヒットスタジオ・・・その前は、そのあたりの「スズラン通り」は八百屋、果物屋、洋品店、化粧品店、生地屋、魚屋、駄菓子屋、本屋、などなど所狭しとギッチリ商店街がならんでいて調度、80年代に入ってから果物屋だったワタナベが、「フルーツパーラーワタナベ」として新装開店したのを覚えています。お洒落な喫茶店という感じで、本格的なプリンアラモードや、パフェが食べられるお店でした。
その後、ヒットスタジオになって、そのまま廃墟のようになるとは・・・
植栽のソテツが、あんなに伸びきって・・・

お察しのように、隆盛期には団地も丘を囲むようにギッシリ建っていて、建物ごとに社宅になっていて、親の会社名で呼び合ったり、子供の派閥があったりして。とにかく子供もたくさんいたのですよ。私が住んでいた社宅も会社が鹿島臨海工業地帯から撤退したのち、解体されたと聞きました。通っていた小学校の生徒数も激減しているそうです。新学期になると毎回100人単位で転校生が入れ替わっていたのに。
こんな廃墟みたいになっているとは・・・
 
ただ、ありんこやキャビンは、昔から姿が変わっていなくて驚きました。
もう、何十年もあの街には行ってなかったけれど、いつか、もう一度通学路でも歩いてみようかな・・・と思いました。




エムケイ

>ルピナスさん
当時の情景が目に浮かぶ大変素晴らしい文章です。

1980年前後に知手団地に住んでいらしたんですね。
地元の方から昔は賑わっていたとコメントいただきましたが、この団地を中心に一つの街だったんですね。

「けんしん」の建物は1980年代中盤以降ですか。
ルピナスさんの前にいただいたコメントでもそのように書かれてました。

そして、「ヒットスタジオワタナベ」。
元は果物屋さんだったんですね。それから「フルーツパーラーワタナベ」になったと。
なんだかこの流れ、文章で読むだけで、手に汗握ります。

>本格的なプリンアラモードや、パフェが食べられるお店

そんなお店があったんですね。

この後に「ヒットスタジオ」になったんだと思いますが、隣の「オアシス」が同じ経営者の喫茶店だとのこと。ショーケースのサンプルを見ると、プリンアラモードやパフェを出していたように思います。
もしかしたら、「ヒットスタジオ」開業にあたり、パーラー部門を隣に移し、「オアシス」としてスタートしたのかな?などと想像しています。

ワタナベの経営者一家は夜逃げ同然にいなくなったと地元の方のコメントをいただいたので、ソテツも伸びたまま、このままここに残るのでしょうか……。

団地の様子も興味深いです。
建物ごとに社宅になって、親の会社名で呼び合う。
うーん、人間関係がちょっと大変そうと思ってしまいました(^_^;)。
子供同士の派閥も…。

新学期に毎回100人単位で転校生が入れ替わる。
これもちょっと想像つかないです。
時代的には第二次ベビーブームの頃で、生徒数が多かったのだと思いますが、人の入れ替わりも激しかったんですね。
そんな時代を背景に、飲食店(純喫茶含む)もたくさんできたんでしょうね。
今でもその残り香がありますが、当時から比べると廃墟のようなんでしょうね。
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エムケイ

ブログを通して多くの方に純喫茶の魅力を伝えていきたいと思っています。
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