西口方面・上町に舞台を移す。
神奈川県の情報では密かに凄いと思っている方のところで、一度だけ見たパン屋の外観写真が頭から離れず、こちらを目指した。
歩きに歩きまくって駅からふーふー言いながらたどり着いたのが「ホームベーカリー 浜田屋」。
神奈川県横須賀市上町4-58
西口駅前からすぐ坂。上町銀座商店街のアーケードを歩く。
この上町銀座はなかなかにレトロ度が高く見どころ抜群なのだが、何年か前にみっちり歩き回っているので、今回は軽く素通りし、途中の交差点から枝分かれしている中里通り商店街へとずんずん進む。こちらもレトロ的見どころあり。
東口の若松町や米が浜もレトロ要素ありだが、タイプが違う。乱暴な分類をすると、東口側はアメリカ色濃厚なレトロ、西口側は住宅街に密接した生活感のあるレトロ。
そんな分析もPCに向かっている今だから書けることであって、くねくねとしたカーブあり坂道ありで辛い思いしてるそのときは必死で歩みを進めるだけだった。
ふっと気付くと今度は下り。視線の先に浜田屋があった。
隣の青果店も良い味を出している。色違いのストライプの庇。
インパクト大。有無を言わさぬ圧倒的なビジュアル。
看板は潔いほどシンプルで店名のみ大きく主張。堂々たる風格漂う。
いいねえ!
アップルパイ推しらしい。
飾り気のない手書きのポップには、国産リンゴ使用をアピール。
コロッケパンやピーナツクリームパンなど昔からあるしゃれっけのない素朴なパンが陳列されており、「出来立て」「大ヒット」のポップが躍る。
なぜかその後ろにCDだかDVDだかがずらりと並んでるけど、あれも売り物なのかしら?
ところでお店の人はどうしたのだろう?
これは…こっそり隠し撮りをしろという指令だろうか(笑)? そーーっとカメラを向けると、あわわわ! おばあさんが置物みたいにしゃがんでいるではないか!
慌ててカメラをしまい(隠し)、えーーっと…と何か買わねばと商品を眺める。
どれも安く100円代が中心なので、とりあえず試しに買ってみてもと選んだのが下記。いずれも買ってすぐ食べた。
お勧めされてたアップルパイ。普通に美味しい。
3食パン。
ということは中身は3色入っているはずだが、1個目クリーム、2個目粒あん、そして最後の3個目は粒あん。え~~!? 粒あんが2個? これって3色じゃなくて2色だよね?
ほかほかしてるし、粒あん好きだし、美味しかったから、まあいいか(楽しかったし)。
そして忘れず撮影もさせていただく。隠し撮りなどせずとも、堂々と写真を撮らせていただいた。
そのまま坂を下る。外観のインパクトでは、隣のわかやま青果店も負けてない。
というかこの交差点一帯はとても人工的に作りだすことのできない本物のレトロな空間。映画のワンシーンに無理矢理登場させたいくらいの魅力がある。
角を曲がりその先にはトンネルが見えた。その向こう側も気になるけど、あちらへ進むと神隠しに遭ってしまいそうな気がして引き返す。
その反対側に目を向けると、錆びたトタンの看板に角栄堂という、すでに現役を退いたことは明らかな古い店があり、その先の道へ進むことにした。
何屋さんだったかは忘れちゃったけど、「ふじや」という渋い建物の商店があった。営業中。
浜田屋、わかやま青果店からは少し離れており、その間に店はなかった。私の目から見ると、住宅街の中にぽつんと渋い店が紛れている感じだが、もしかしたら昔はこの一帯が商店街だったのだろうか?
[2018/05/05 追記]昭和30年代にこの地で生まれ育った方より、当時の様子を教えていただきました。想像していた通りこの辺りは栄えていたそうです。詳細はコメント欄をご覧ください。
そしてこの後道に迷いつつかなり長い散策が続くのだが、さほど面白みはないので割愛。
気付いたら安浦2丁目という交差点にたどり着いた。その手前で「パン*洋菓子 シルバーベーカリー」を見付けた。クラシカルな洋風の格子が窓を覆う立派な2階建ての建物だった。すでに閉店しているようだったが、どんな店だったのか想像してみた。きっと素敵な店あったんだろうな……。
[2018/05/14 追記]昭和30年代にこの地で生まれ育った方より、当時の地図を作成していただきました。大変貴重なものです。
地図は下記(4点)↓↓↓
※黄色の背景塗りが、現在でも残っているもの
エムケイ
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コメント
エムケイ
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パンは浜田ベーカリーで、野菜は若山青果店で、その他食料品は角栄堂で、と一回りすれば大体の食べ物が買えました。
浜田ベーカリーと若山青果店の前には風呂屋もありました。電気屋、燃料屋(炭、練炭など)もありました。「ふじや」(お菓子屋です)方面に進むと次の信号までの間には、煙草屋、医者2軒、酒屋2軒、駄菓子屋、牛乳屋、総菜屋、もう一軒の八百屋、床屋2軒、電気屋、お菓子屋、が、ありました。
この辺りは昭和の初めまでは、もっと栄えた商店街だったそうです。ブログ中に出てくるトンネル(ここを抜けると横須賀中央駅方面に行けます)ができたのが昭和12年で、それまでは、この地域の人たちの買い物は、この閉じた地域で完結しなければならなかったからです。
戦前は、交差点から浜田ベーカリー方面、その反対側、ふじや方面、どちらに行っても軍の重要施設があったので、栄えるわけです。
2018/05/05 URL 編集
エムケイ
2018/05/14 URL 編集
SHIHO
生まれ育った方でないとわからない記憶と記録ですし、同じ街で育った方でもここまで覚えてる方も少ないのでは…☆
もともと地図を眺めるのが好きなので、この資料とGoogleの地図・ストリートビューを照らし合わせながら、ふむふむと見入ってしまいました(^^)
それにしても、複雑な地形、坂道、階段…今まで見たことの無い景色です。行ってみたくなりました☆
市会議員さんが出た地区、百恵ちゃんの出身校、はたまた〝シロセット加工〟って何?と色々興味津々で見てしまいました☆
長文失礼しました。
貴重な資料を拝見させて頂き、ありがとうございます(o^^o)
2018/05/15 URL 編集
エムケイ
と同時に物凄い記憶力だな、とその点でも驚嘆しました。
仮に自分がとなると、現在住んでる場所ですら正確に記憶してるかというと自信ありません。
作者の方によると、「抜けがあったり、間違えてる部分があったら指摘していただくとさらに嬉しい」のこと。
指摘できる人はさすがにいないと思います。
> もともと地図を眺めるのが好きなので、この資料とGoogleの地図・ストリートビューを照らし合わせながら、ふむふむと見入ってしまいました(^^)
それは初耳です。そういえば古地図を見るのが好きな人と会ったことがあります。
「市会議員」の部分は、当初は名前も記載されてたのですが、不特定多数の人が見る場所ということもあり、作者の方がぼかしてくれました。
> はたまた〝シロセット加工〟って何?と色々興味津々で見てしまいました☆
私も調べてしまいました。勉強になりますね。
2018/05/16 URL 編集
Higuchi
また上野電気店の並びの角に東洋クリーニングの代理店を営んでいるかたもいらっしゃいました。
47~48年前ですが中里トンネルから鶴久保小に続く道は現在の半分程度しかなくどぶ川になっていました。その後暗渠になり、上に道路ができ、現在の幅になりました。
どぶ川は柳田写真館から緑道方面につながっていました。現在はその川も暗渠になり、
宇東川緑道となっています。
2018/05/28 URL 編集
エムケイ
地図の作者の方も間違いの指摘、補足をいただけると嬉しいとのことでした。
それにしてもよく覚えていらっしゃいます。
その記憶力に驚嘆しております。
私など数年前のことですら記憶が混沌としております。
2018/05/29 URL 編集
NACK
先日、とても良い資料を見つけました。100年前の町並みです。
前回資料(地図)とお店等が一致するものは赤い四角で囲んであります。
他にも気づいたことを赤文字で記入してあります。
(前回お送りした地図の誤りについても記載しました)
以下のリンク先に置いてあります。
https://drive.google.com/file/d/1OIztVonzn5nhRVsJQ1hgkrenVPZZ_kme/view?usp=sharing
https://drive.google.com/file/d/1k-38Dzk8u9hLm75RJj2IX0-I046wjVyn/view?usp=sharing
両者の「A」と赤文字で記した部分が同一地点です。
2022/09/28 URL 編集
エムケイ
あの後もたびたび見ていました。
昨年横須賀中央に行ったのですが、その時も記憶の地図を見ながら歩きました。
今回の100年前の街並みですが、これも大変貴重な資料。
煮豆工場や「ふじや」が近い距離で移転してるのが興味深い。
「ふじや」はあの外観の雰囲気から最初からここにあったのだと思ってました。
どのような経緯で移転したのか、思いを馳せます。
八百屋の「若山」も移転してたんですね。
「しもたや」という形態(?)が多いのも気になりました。
「しもたや」って、なんだろう?
調べてみたら、「商店街の中にあって商業を営まない住み家」という意味らしいですが、当時の方が現在の商店街を見たら、「しもたや」だらけになりますね。
2022/09/28 URL 編集
NACK
まず「地図1」で若山青果店は現存しているので背景を黄色にしておくべきでした。
次に「地図3」の八百虎は原田青果店の誤りでした。八百虎は地図1を左の方に数百メートル行った不入斗中学校(山口百恵出身校)の近くにある八百屋さん(兼小規模スーパー)でした。八百虎さんは今でも営業しているのではないかと思います。
原田青果店は今ではサザエさんの三河屋さんぐらいでしか見ない「御用聞き」に奥さんが回っていました。縁側に腰かけて「御用聞き」と称して母と長時間世間話をしていたものでした。昭和40年代前半の話です。
Higuchiさんの指摘された豆腐屋さん、うっすらと覚えています。東洋クリーニングの代理店と書かれているのが私の言う「シロセット」の店です。
どぶ川も覚えています。確かポストのところから車通りとどぶ川が並走していたと思います。当時は信号がなかった中里トンネル内もそうですが、よく大型バスがすれ違えたものだと思います。
2023/04/17 URL 編集
エムケイ
>原田青果店は今ではサザエさんの三河屋さんぐらいでしか見ない「御用聞き」に奥さんが回っていました。
「御用聞き」という仕事。
今では見ないですよね。
2023/04/23 URL 編集